1892年は「世界最初の映画興行」と言われるシネマトグラフの上映会(1985年12月28日)より3年前になる。エジソンはこの時点でキネトスコープを作っているが、一般へのお披露目はまだだった。つまりテアトル・オプティックは世界で最初の「動く絵」の興行だったのだ。
しかしこれが「映画」とは呼ばれず、「世界初のアニメーション」であるのには理由がある。テアトル・オプティックで動くのは写真ではなく、手で描いた絵だった。また絵を動かすための原理も、後の映画とはだいぶ異なっている。テアトル・オプティックは少しずつ異なった絵を連続投影することで動きを生み出すという意味で、紛れもなくアニメーションだ。しかしそれはまだ映画ではなかった。
エミール・レイノーやテアトル・オプティックの名前は映画史の本には必ず出てくるのだが、それが映画とどのように違うのかが僕はよくわからなかった。しかし今は便利な世の中で、YouTubeにテアトル・オプティックの原理を解説した動画がアップロードされている。
テアトル・オプティックも複数の画像を帯状につなぎ、それを次々に映写機の前に送り出してスクリーンに投影している点では映画と変わらない。だがこの帯がただ映写機のレンズの前を通り過ぎたのでは、スクリーンに投影した画像も流れてしまう。動画を再現するためには、スクリーンに映し出した画像を1コマずつ静止させ、次のコマと入れ替える際の画像のブレを観客の目から隠さなければならない。
映画はこれを、フィルムの間欠運動とシャッターを利用して実現している。
間欠運動というのは、動く→止める→動く→止めるという動きのこと。フィルムにはそのために穴が空けられていて、そこに映写機の爪や歯車をひっかけて、映写機のレンズの前に1コマずつ正確に送り込み静止させる。これは上映だけでなく、撮影用カメラでも同じことだ。「動く→止める→動く」という動作を繰り返すため、映写機やカメラからはカチャカチャという独特の音が発生する。(フィルム送りが高速になればジーッという音になる。)
フィルム1コマ分の映写が終わったら、映写機は素早く次のコマを送り出して映写する。コマとコマが移動している間は、シャッターが光源の光をさえぎって画面を暗くしてしまう。この時間が短ければ、人間の目の錯覚で暗闇を意識することはない(残像効果)。次のコマがレンズの前に来たら、シャッターが開いて次のコマが映写される。シャッターはフィルムを送る装置と連動していて、フィルム移動時に正確に光源をさえぎるよう調節されている。
これが映画の仕組みだ。だがエミール・レイノーは映画とはまったく別の方法で、この間欠運動を実現させた。
彼は鏡を使ったのだ。鏡を使って連続した絵から動きを作り出す方法は、レイノー自身がプラキシノスコープという装置で既に実現していた。プラキシノスコープは装置の周辺を取り囲んだ数人でしか見られないが、レイノーはこれをスクリーン投影式に改造した装置も作っている。
テアトル・オプティックとは、要するにバカでっかい投影式プラキシノスコープなのだ。プラキシノスコープは円筒の内側に配置した、せいぜい10枚程度の絵を動かすことしか出来ない。しかし絵を長い帯状にして鏡の動きと連動させて次々送り出せば、理屈の上では際限なく長い動画を生み出すことができる。
プラキシノスコープでもテアトル・オプティックでも、鏡の継ぎ目で動画が一瞬だが途切れるところがある。動画がちらつくフリッカーが起きるのだ。そのためテアトル・オプティックでは動画の背景をスライドで静止画像として映写し、プラキシノスコープと同じ方式で生み出した動画と二重投影しているようだ。
映画の技術を知ってしまった後になれば、エミール・レイノーがこれほど大がかりで手間のかかるものを作ってしまたことがバカバカしく思える。しかしレイノーは自分が手掛けてきて、実績のある技術を使い続けただけなのだ。テアトル・オプティックは映画が発明されて人気を博した後も、1900年まで興行が続けられたという。
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