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2015年3月15日日曜日

ル・プランスを巡るミステリー

 本当の発明者にまつわる伝説というのがある。「あれはダレソレの発明だと言われているが、本当は別のナニガシが発明したのだ」という類の話だ。例えば電話の発明者としてはグラハム・ベルの名前が知られているが、特許出願で彼にたった2時間遅れたばかりに発明者になれなかったイライシャ・グレイという男がいたこともよく知られている。

 発明というのは先行する技術の積み重ねの上に、それを組み合わせて実現される。だから技術が出揃ったところで「あれとこれを組み合わせればこうなる!」というアイデアをほとんど同時に複数の人間が思いつくことはあり得るし、そこからヨーイドンで研究がスタートして、ゴールにほとんど同時に何人もがもなだれ込んでいくこともあり得るわけだ。

 映画の発明についても、これと同じようなことが起きた。映画にまつわる最初の主要な特許を取得したのはエジソンだが、彼に先んじて映画の仕組みを実現していた先駆者も存在した。ルイ・ル・プランス(1841〜1890)はそんな映画の先駆者のひとりだ。

 生まれたのはフランス。父親が銅板写真の発明者ダゲールの友人だった関係で、ル・プランスは幼い頃から写真術に親しんでいたという。成人後はイギリスに移住して工業製品のメーカーに勤めるが、写真を応用した製品やパノラマの制作も行った。やがて彼は「動く写真」の開発に取りかかる。

 パノラマというのは巨大な写真や絵画を360度ぐるりと配置して、中心に立った観客に鑑賞させるというもの。映画興行の先駆として、映画史の本には必ず出てくるものだ。写真術、パノラマ、そして映画……。ル・プランスの生涯は、映画前史をそのままなぞっている。

 彼が発明した最初のカメラは、16個のレンズで16コマの連続写真を撮影するものだった。しかしこれは撮影するたびに視点がずれてしまうので、それだけでは映画にならない。1887年にはこれを改良して1つのレンズで連続写真が撮影できるようになった。こうなるともう、ほとんど映画そのものを発明したと言えるだろう。

 ル・プランスが1888年に撮影した映像が残っている。記録時間はほんの数秒間だが、映像自体は結構鮮明。これはもうほとんど映画と言っていいだろう。



 1990年にル・プランスはこのカメラを売り込むためにアメリカに渡り、その帰路にフランスで列車の中から謎の失踪を遂げる。同時期にエジソンも映画の研究をしていたので、ル・プランスに先を越されたエジソンが彼の発明品に嫉妬して暗殺したのではないか……といった説もあるが、真相はいまだによくわからない。

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2015年3月9日月曜日

『アメリカ交響楽』のヘイゼル・スコット

1945年に作られたガーシュウィンの伝記映画『アメリカ交響楽』には実在のショービジネス関係者が大勢実名で登場しているのだが、その中に紛れてやはり実名で登場するのがヘイゼル・スコット(1920〜1981)だ。

 フランスに渡ったガーシュウィンがナイトクラブを訪れると、そこでピアノを演奏していた彼女が即興でガーシュウィン・メドレーを演奏しながら歌いまくる。

 これはまったく歴史的な事実とは無関係な、映画ならではの創作シーンだろう。ガーシュウィンは1937年に亡くなっているが、その時スコットは17歳。スコットは若くしてショービジネスの世界で成功していたので、ガーシュウィンとどこかですれ違っていそうな気もするが、映画に出てくるような劇的なものではなかったと思う。

 おそらく劇中にミュージカルやレビュー、クラシック演奏のシーンはあってもジャズの場面がほとんどないので、それを補うために彼女の出演シーンを作ったのだと思う。彼女もガーシュウィンと同じで、クラシックとジャズの両方で活躍する演奏家だったからだ。


 IMDbによれば、彼女は1943年から45年にかけて5本の映画に出演している。すべて彼女自身の役としての出演だ。貼り付けてある動画は1943年の映画『I Dood It』からの出演シーン……だと思う。

 本当は『アメリカ交響楽』から引用したかったのだが、YouTubeでは該当する動画を見つけることができなかった。でもこれを観るだけでも、彼女の卓越したテクニックと独特のフィーリングを見て取れることができると思う。

 ヘイゼル・スコットが女優でもないのに当時5本の映画に出演しているのは、彼女に当時それだけの人気があったからだ。1936年にはラジオのレギュラー番組を持っていたし、1939年にはレコードデビューも果たしている。だがテレビ以前の時代、人々が彼女の動く姿を観ようとすれば映画に頼るしかなかったのだ。映画会社はそんな庶民の要望に応える形で、彼女を映画にゲスト出演させた。『アメリカ交響楽』への出演もそのひとつだったのだろう。

 だが彼女の映画出演歴は、この『アメリカ交響楽』で一度ストップする。映画会社が彼女にステレオタイプな黒人像を押し付けはじめたことに反発し、映画の世界から距離を置いたようだ。彼女はテレビの世界に可能性を見いだす。1949年から何本かのテレビ番組に出演し、1950年には自分の名前を冠したテレビ番組「ヘイゼル・スコット・ショー」も持つことができた。これはアメリカの黒人としては初の快挙だ。

 だがここで彼女は赤狩りに引っかかり、さらに公民権運動にコミットしたことで煙たがられた。せっかくつかんだテレビの仕事は奪われ、彼女はヨーロッパに活動拠点を移さざるを得なくなってしまった。彼女はヨーロッパで歓迎されたが、身の上は政治亡命者のようなものだのかもしれない。

 彼女が再びアメリカに戻ったのは、1960年代後半になってからだった。

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