ジョルスンはブロードウェイとハリウッドの両方で、人気の頂点を極めた大歌手だった。その時代に録音されたレコードも残っている。だが彼の活躍時期は1920年代から30年代にかけてで、録音の技術水準はあまり高くなかった。当時の録音を1946年の映画にそのまま持ってくるのはあまりにもお粗末なので、ジョルスンが映画に使う代表的な持ち歌を一通り全部録音し直したわけだ。
30代のジョルスンと50代のジョルスンとでは、歌唱スタイルは同じでも声の質がだいぶ異なっている。年齢を経たことでキーが少し下がり、より渋く円熟味を増していたのだ。今でもCDなどでジョルスンの歌声を簡単に聴くことができるが、20年代の若く溌剌とした弾むような歌声もいいが、40年代の丸く角が取れた深みのある声も魅力的だ。
映画はジョルスンの歌以外ほとんどフィクションなのだが、そうなってしまった理由はいくつかある。主人公をはじめモデルになった人たちがまだほとんど存命中だったため、実際のエピソードにするといろいろと差し障りがあったというのがまず第一の理由だろう。
例えば主人公の妻ジュリー・ベンソンは明らかにルビー・キーラーがモデルだが、キーラーはジョルスンと1940年に離婚したあと再婚して別の家庭を築いていた。そんな人を実名で出せるはずがないし、ジョルスンとの夫婦関係で何があったかを細かく描くのも問題が生じる。映画の中ではジュリーがジョルスンの最初の妻になっているが、じつはジョルスンはキーラーと結婚する前に2度の離婚歴があり、彼女は3人目の妻だった。そのことも映画では伏せられている。
アル・ジョルスンは世界初のトーキー『ジャズ・シンガー』(1927)に出演して、ブロードウェイの大スターから映画スターになる。当然この話は『ジョルスン物語』にも登場するのだが、それ以前の舞台でのキャリアを描く前半に比べると、映画人としてのジョルスンの描写が薄っぺらなものになってしまうのは残念だ。
しかしこれもやむを得ない。ジョルスンはワーナー映画のスターで、その後は20世紀フォックスでも何本か映画を撮っている。しかしこの『ジョルスン物語』はワーナーでもフォックスでもなく、それまでジョルスンの映画を1本も作ったことがないコロンビア映画の製作なのだ。『ジョルスン物語』はカラー作品だから、本当ならワーナー時代のモノクロ作品の名場面をカラーで再現したかっただろう。でもそれは権利問題があって不可能な話だった。
主演のラリー・パークス(1914〜1975)は、この映画でいきなりスター俳優になった。大げさな身振り手振りでダイナミックに熱唱するジョルスンのパフォーマンスを忠実にコピーした彼は、アカデミー賞にもノミネートされている。30歳を過ぎた遅咲きのスターだった。
ラリー・パークスとジョルスンの声はまったく異なる。台詞から歌に入ると声が変わることがわかるし、そもそもこの映画を観ている1940年代の観客は、ラリー・パークスの声がジョルスン本人の吹替だとみんな知っていただろう。だがそれでも、パークスの歌唱シーンには人を引き込む力がある。口パクと言えばそれまでなのだが、これは天下一品、百点満点の口パクだ。
ジョルスンはこの映画で声の出演という裏方に徹しているのだが、じつはワンシーンだけ本人役で出演している。ガーシュウィン最初のヒット曲「スワニー」を歌う場面だ。このシーンはカメラが寄らずに終始ロングショット。しかし主人公の足取りや動きが、パークスの演じるジョルスンよりずっとスピーディでエネルギッシュだ。ジョルスンはこの前年の映画『アメリカ交響楽』にも、本人役で出演して「スワニー」を熱唱している。ジョルスンにとっても、これは特別な思い入れがある曲だったのかもしれないな……。
パークスは続編『ジョルスン再び歌う』(1949)でも同じ役を演じているが、そこではなんと『ジョルスン物語』の製作舞台裏が再現されている。パークスが演じるアル・ジョルスンと、パークス本人が演じるパークスが劇中で顔を合わせて挨拶する場面は、何度観ても面白くてニコニコしてしまう。
アル・ジョルスンはこの映画のヒットで再び人気歌手の座に返り咲き、大量のレコーディングを行うことになった。そのおかげで今でも音質のいいステレオ録音で、ジョルスン晩年の素晴らしい歌声が聞けるのはありがたい。
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