これは赤狩り当時の膨大な記録を整理し、再構成した舞台劇。原題は「あなたは今、あるいはかつて(Are you now or have you ever been)」だが、これは下院非米活動委員会(HUAC)が聴聞会に呼び出した証人に対して、「あなたは今、あるいはかつて、共産党員でしたか?」と迫るお決まりの質問から取られている。
この戯曲はハリウッドが赤狩りによって追い詰められ、自由を失っていく様子が17人の証人の聴聞の様子を通して描かれる。登場するのは以下の人々だ。カッコ内は当時のハリウッド内での肩書きで、※印が付いているのはいわゆる「ハリウッド・テン」のメンバーだ。
- サム・G・ウッド(プロデューサー・監督)
- エドワード・ドミートリク(監督)※
- リング・ラードナー・ジュニア(脚本家)※
- ラリー・パークス(俳優)
- スターリング・ヘイドン(俳優)
- ホセ・ファーラー(俳優)
- エイブ・バロウズ(脚本家)
- エリア・カザン(監督)
- トニー・クレイバー(?)
- ジェローム・ロビンズ(振付師)
- エリオット・サリヴァン(俳優)
- マーティン・バークリー(脚本家)
- リリアン・ヘルマン(脚本家)
- マーク・ローレンス(俳優)
- ライオネル・スタンダー(俳優)
- アーサー・ミラー(脚本家)
- ポール・ロブスン(俳優・歌手)
赤狩りはハリウッドを大きく傷つけた。1950年代のハリウッドはテレビの登場で観客が激減するという嵐に見舞われるのだが、本来ならそこで知恵を絞り、共に汗をかいて新しい映画作りに立ち向かわなければならない仲間の多くを失った。ハリウッドは密告が横行する社会となり、それまで大スターから末端のスタッフにまで共有されていた家族的信頼関係は完全に損なわれてしまった。
長年の仕事仲間で昨日のランチも笑いながら一緒に食っていた親友が、じつは2年前に委員会に呼び出されて自分を密告していた……なんてことがあるのだから、もう誰も信用できないではないか。
このあたりのギスギスして気まずい雰囲気は、映画『真実の瞬間(とき)』(1991)や『マジェスティック』(2001)にも描かれている。17世紀にアメリカで起きた魔女裁判をモチーフにした戯曲『るつぼ』(1953)で赤狩りを批判したアーサー・ミラーは、その後自らも委員会に呼び出されて議会侮辱罪に問われた。
戯曲「ハリウッドの反逆」はこの勇ましいタイトルとは裏腹に、アメリカのショービジネス界が政治の前に完全屈服するところで終わっている。
一九五八年ころまでには、あらゆる職業が屈服させられていた。あるものはみずからの手で死を選び、あるものは心臓発作をおこし、多くはブラックリストにのせられ、また多くは偽りの悔悛によって地位を確保し——あるいは改善した。ショー・ビジネス界を対象とする調査は完了したのである。アメリカの映画界はその後1960年代初頭まで、赤狩りの余波を引きずることになる。聴聞会に呼び出されたメンバーだけではなく、そこで名前が取りざたされた人、名前が取りざたされたのではないかと噂になった人などが、映画製作に携わるには好ましからざる人々とされてブラックリストに載り、ハリウッドを追放されたのだ。
ハリウッドから追放された人たちの中には、台頭してきたテレビの世界に新しい活躍の場を見出す人もいた。海外に逃れてそこで作品を発表する人もいた。舞台の世界に戻る人もいた。偽名や変名を使って、秘かにハリウッドの仕事をする人もいた。だが行き場をなくしてショービジネスの世界を離れたり、命を絶ってしまう人もいた。
ハリウッドの赤狩りについては、政治圧力に屈することなく投獄されることを選んだ「ハリウッド・テン」の勇気がやたらと讃えられたり(その後に何人かの転向者も出るのだが)、「ハリウッド・テン」として映画界を追放された後もさまざまな変名で脚本を書き、アカデミー賞まで受賞してしまったダルトン・トランボ(1905〜1976)のことがしばしば取り上げられることがある。(トランボは1960年に『栄光への脱出』と『スパルタカス』でハリウッドに完全復帰する。)
でもトランボのような人は、やはりきわめて例外的だと言うしかない。ほとんどの人は、赤狩りでハリウッドを追放されるとそれっきりになってしまったのだ。運良く映画界に復帰できたとしても、キャリアの断絶はその人の人生に致命的なダメージを与えた。ラリー・パークスもそうした犠牲を被ったひとりだ。
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