僕は彼女の映画を観る前から、その名前を知っていた。大歌手アル・ジョルスンの奥さんとしてだ。彼女は1930年に映画に端役デビューしているようだが、それより前の1928年にアル・ジョルスンと結婚しているのだ。
この結婚については、ある伝説的なエピソードがある。ブロードウェイの舞台「ショーガール」(1929)に出演中のキーラーがガーシュウィンの「ライザ」を歌うフィナーレで、緊張のあまり声が出なくなってしまうという出来事があった。この時たまたま客席にいたのが夫のアル・ジョルスンで、彼はとっさに自分で「ライザ」を歌ってその場を救ったのだという。
これは「ガーシュウィン歌曲集」のCDの何かに、楽曲の説明として掲載されていた。当時は「いい話だなぁ」と思ったのだが、今では「本当か?」と疑っている。じつはこの場面、ジョルスンの伝記映画『ジョルスン物語』の中で再現されているのだ。伝記映画の中の名場面が、そのまま当人のエピソードとして伝説化したんじゃなかろうか……。
キーラーはその後、ジョルスンに付き添うように活動の拠点をハリウッドに移す。ジョルスンは既にワーナー映画の大スターだ。彼女が『四十二番街』でいきなり主役に大抜擢されたのは、ブロードウェイでの実績はもちろん、ジョルスンの妻だったという理由が大きかったと思う。
彼女は小柄で丸顔で、じつは歌もあまり上手くない。声が細くて、音程やテンポにも少し曖昧なところがあるのだ。しかしタップダンスはダイナミック。フレッド・アステアなどの軽やかに滑るようなタップではなく、体重をしっかりかけて、かかとで床を踏み抜くようなダンスを見せる。状態の動きがぎこちなくてバタバタした印象もあるが、それはそれでご愛敬だ。
『四十二番街』でワーナー・ミュージカルの新しい顔になったキーラーだったが、映画スターとしてのキャリアはさほど長く続かなかった。彼女の活躍は1930年代一杯でおしまい。同じ頃、夫のアル・ジョルスンもやはり映画出演が途絶えてスクリーンからフェードアウト。そしてふたりは1940年に離婚してしまう。
1946年に公開された『ジョルスン物語』を、キーラーは観ただろうか? 映画の中では彼女に相当する役をイヴリン・キースという大人っぽいムードの女優が演じていたが、外見も雰囲気もキーラーとは似ても似つかない。役名もジュリー・ベンソンに変えてあったし、まあ作り手としても「別人です」ということなのかもしれないけど……。
彼女はそのあと舞台の仕事に戻って行くが、ブロードウェイで大喝采を浴びることになったのは1971年のミュージカル「ノー、ノー、ナネット」への出演だ。「幸せになりたい」や「二人でお茶を」などのナンバーで知られる、1925年に初演された古いミュージカル作品のリバイバル上演だが、この時キーラーが演出家に指名したのがバスビー・バークレー。『四十二番街』の振付師として彼女を映画スターにした演出家と、今度は舞台でコンビを組んだのだ。
この時の上演は、出演キャストで楽曲のレコーディングが行われている。キーラーも歌を披露しているが、相変わらず上手くはない。音程やテンポはやっぱり曖昧だ。でもこれがいい。彼女が歌っている場面は、一瞬でそれがルビー・キーラーだとわかる。
No No Nanette
Sony Music (1991-10-01)
Sony Music (1991-10-01)
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