エジソンは当初自分の作った蠟管型の蓄音機と同じように、筒型のシリンダーに連続写真を巻き付けるように配置し、それを顕微鏡でのぞくような装置を考えていたらしい。
ひとつの軸に蠟管式の音声シリンダーと映像用のシリンダーを固定して回転させれば、音声とピッタリシンクロした映像が再生される。エジソンの発想は「映像付きの蓄音機」だった。
だがディクソンの発想は逆だ。彼は写真の技術に詳しく「動く写真」をいかに実現するかにこだわった。その結果、エジソンの考えたシリンダー型のアイデアを捨てて、より幅の広いセルロイド製のロールフィルムを使用することを考える。その方がより鮮明な映像が作れるからだ。
フィルムの幅は35mmに決め、フィルムの両側にフィルムを移動させるための穴を等間隔で空けた。35mmフィルムでは映像の縦横比が3:4になり、1コマ当たり左右の穴が4個ずつ並んでいる。これらの規格は、その後もサイレント映画の基本的なフォーマットとして長く使われることになる。
こうして作られたキネトスコープは大ヒット商品になり、アメリカの大都市には「キネトスコープパーラー」が何ヶ所も作られ、遊技場に設置され、巡回興行師たちはキネトスコープを抱えて世界中で客を集めた。エジソンはキネトスコープと蓄音機を組み合わせたキネトフォンも作っている。やはりエジソンは蓄音機の人なのだった……。
しかし「動く写真」の地位をキネトスコープやキネトフォンが独占していたのはほんの数年だ。リュミエール兄弟がスクリーン上映式のシネマトグラフを発明すると、観客は大画面の迫力と臨場感に心を奪われてしまう。キネトスコープはあっという間に時代遅れの装置になり、エジソンもあわててスクリーン上映式の装置の権利を買い付けて路線変更を行った。
だがディクソンはその頃もまだ「動く写真」の研究を行っていた。彼は1905年にエジソンの研究所を離れ、ミュートスコープという新しい動画再生装置を作り出す。ローロデックスという名刺フォルダーがあるが、ミュートスコープはその親玉みたいな機械だ。円環状に配置された写真の束を高速でパラパラとめくり、それをのぞき穴からのぞいて動く写真を楽しむ。映像ソフトの更新は、写真束が装着されたディスクを交換することで行ったのだと思う。
ミュートスコープはキネトスコープよりずっと鮮明な動画が得られる上に、機械としての耐久性も高い。構造もシンプルなので値段もキネトスコープより安かっただろう。こうして遊技場などに設置された動画再生装置は、あっという間にキネトスコープからミュートスコープに置き換えられてしまった。
ものの本によればミュートスコープは「比較的最近」まで場末の遊技場などに残っていたという。おそらく1960年代か70年代頃までは、ピンボールマシンやジュークボックスに混じって、遊技場の片隅でほこりをかぶっていたのだろう。現役で稼働するキネトスコープは世界にほとんど残っていないと思うが、ミュートスコープはまだあちこちの博物館で現役で動くものが残されているようだ。
フィルムとカメラの世界史―技術革新と企業
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