2015年3月1日日曜日

♪エジソンは、偉い人。そ〜んなの〜常識♪

 映画は蓄音機や白熱電球と並んで、アメリカの発明王トーマス・エジソン(1847〜1931)の代表的な発明のひとつとされている。確かにエジソンの研究所で誕生したキネトグラフは世界最初の映画撮影カメラであり、キネトスコープは世界最初の映画再生装置だった。

 だが映画の歴史に詳しい人なら、エジソン研究所で実際に映画の開発を担当したのは、彼に雇われたウィリアム・ディクソン(1860〜1935)という技術者だということを知っている。エジソンは自社従業員の研究成果に、自分の名前をつけて売りだしたのだ。

 これは別に、エジソンが自分の部下の発明を盗んだわけではない。エジソン以前の時代には、天才肌の発明家がひとりでコツコツと新しい発明に挑んでいた。エジソンもそうしたところから出発したはずだ。だが彼はその後、自分の研究所に大勢の研究者や技術者を雇い入れ、その知識と経験と実験成果を共有し合うことで多くの発明を生み出すようになった。エジソンは発明を「個人技」から「集団作業」に変えた。このスタイルは、その後の企業内研究開発などにも引き継がれる。映画もそこから生み出されたものだ。

 エジソンは自身の最初の発明品である「電気式投票機」がまったく売れなかったことから、「売れる発明でなければ意味が無い」というポリシーを持っていた。発明は実用品でなければない。市場ニーズがあってこそ、発明には価値がある。だからエジソンは新しい機会を発明するだけでなく、その発明品を作ったビジネスも同時に考える。

 映画再生装置であるキネトスコープについては、キネトスコープパーラーという商売を生み出した。写真機材メーカーを営むジョージ・イーストマンと協力して、キネトスコープ用に作った35mmフィルムを規格化された商品として大量生産した。これがやがて、スチルカメラ用の35mmフィルムにも転用される。映画の特許を保護するために、他の特許保有者と協力して特許管理会社を作り、無断で特許を侵害する海賊業者を取り締まった。


 映画の発明はエジソンだけの功績ではない。だが映画を「ビジネス」に結びつけた最初の人物はエジソンだと思う。エジソンがいなければ、映画は写真から派生した珍奇な発明品で終わってしまったかもしれない。巡回興行師が持ち歩いて各地の見世物小屋を巡業する、新手の幻灯興行で終わってしまったかもしれない。

 その証拠にエジソン以外の映画の発明者たちは、あっという間に映画の世界から撤退してしまうのだ。動く写真に熱中した発明家たちは、カメラや映写機を作ることで満足し、それを使って何か事業を行おうとはしなかった。彼らの発明は、いわば趣味の世界だ。シネマトグラフを発明したリュミエール兄弟も映画事業は他人に任せていたが、それもたった数年で一切合切を他社に売却している。リュミエール兄弟は映画に興味はあっても、映画ビジネスには興味を持たなかった。

 映画をビジネスにしようとした数少ない例外の中に、ジョルジュ・メリエス(1861〜1938)がいる。だがメリエスの映画事業は彼自身が一手に管理できる範囲に限られ、それを超えたところで自律的に成長して行く事業に育てることはできなかった。映画の発明者の中で誰よりも早く「映画の商業性」に着目し、事業展開しようとしたのはやはりエジソンだと思う。

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