2015年2月16日月曜日

トーキーに抵抗したチャップリン

 最初のトーキー『ジャズ・シンガー』が1927年に公開されると、映画界はあっという間にトーキー化の波に飲み込まれた。1930年頃にはアメリカ以外の国でも本格的なトーキー作品の第1弾が作られているし、アメリカの映画興行界も同じ頃にはほとんどトーキー化が完了していたという。ものすごいスピードだ。

 1929年には世界大恐慌が起きているので、『ジャズ・シンガー』がそれ以降に公開されていたらトーキー革命はまったく違った結果を生み出した可能性もある。だが歴史に「もしも」はない。結果がすべてなのだ。

 トーキーが登場した時点で多くの映画業界人が危惧していたように、台詞や音楽の入った映画は「映画芸術」の表現を後退させた。自由なカメラワークや編集技法が台詞によって制約され、映画は20年以上前の「撮影された舞台劇」のスタイルに逆戻りしてしまったのだ。だがこうした退行は一時的なものだった。映画人たちは創意工夫でトーキーの欠点を克服し、1930年代には流麗な映画芸術の輝きを取り戻す。映画は「音」を手にすることで、それまで以上の表現を身に着けたのだ。

 だがそんなトーキー革命の波を、横目でじっとにらんだまま動かない男がいた。映画スターであり、プロデューサーであり、映画監督でもあったチャールズ・チャップリン(1889〜1977)だ。

 彼は1928年の『サーカス』をサイレント映画として作る。『ジャズ・シンガー』の翌年だが、当時はまだサイレント映画もたくさん作られていたので、これは別に特別なことではない。だがそれ以降はどうだ? 1931年の『街の灯』はサウンド版でBGMは録音されているが、登場人物の台詞はそれまで通りの字幕処理だ。前記したとおり、ハリウッドのトーキー化は1930年頃には完了している。サウンド版の『街の灯』は、当時としては既に古いスタイルの映画だった。

 チャップリンの次の作品は1936年の『モダン・タイムス』だ。同時期にはフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのミュージカル映画もあれば、フランク・キャプラの軽妙なコメディ映画も作られている。映画の中では登場人物たちが丁々発止の掛け合いを演じ、音楽に合わせて歌ったり踊ったりするのが当たり前だった。それでもチャップリンは「無声」にこだわり続ける。

 ただし『モダン・タイムス』には1箇所だけ、チャップリン扮するウェイターがデタラメな歌を披露する場面がある。しかしそれだけだった。チャップリンは頑なに「台詞」を拒み続けた。

 チャップリンが本格的なトーキー作品を作ったのは、1940年の『独裁者』が初めてだ。『ジャズ・シンガー』から13年たっている。周回遅れどころではなく、ハリウッドの技術的な流れから3周も5周も遅れて、チャップリンはようやく主人公が台詞をしゃべる映画を作った。


『独裁者』は立派な映画だ。ラストシーンの演説はいつの時代も観る人を感動させるに違いない。だがこの映画には、それ以前のチャップリン映画に必ず登場する山高帽の浮浪者はもう登場しない。これ以降のチャップリン映画もすべてそうだ。

 チャップリンはトーキーで「声」を手に入れるのと引き替えに、サイレント時代から人々が愛して止まなかったキャラクターを捨て去った。浮浪者チャーリーは、トーキーによって殺されたのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿