1929年には世界大恐慌が起きているので、『ジャズ・シンガー』がそれ以降に公開されていたらトーキー革命はまったく違った結果を生み出した可能性もある。だが歴史に「もしも」はない。結果がすべてなのだ。
トーキーが登場した時点で多くの映画業界人が危惧していたように、台詞や音楽の入った映画は「映画芸術」の表現を後退させた。自由なカメラワークや編集技法が台詞によって制約され、映画は20年以上前の「撮影された舞台劇」のスタイルに逆戻りしてしまったのだ。だがこうした退行は一時的なものだった。映画人たちは創意工夫でトーキーの欠点を克服し、1930年代には流麗な映画芸術の輝きを取り戻す。映画は「音」を手にすることで、それまで以上の表現を身に着けたのだ。
だがそんなトーキー革命の波を、横目でじっとにらんだまま動かない男がいた。映画スターであり、プロデューサーであり、映画監督でもあったチャールズ・チャップリン(1889〜1977)だ。
彼は1928年の『サーカス』をサイレント映画として作る。『ジャズ・シンガー』の翌年だが、当時はまだサイレント映画もたくさん作られていたので、これは別に特別なことではない。だがそれ以降はどうだ? 1931年の『街の灯』はサウンド版でBGMは録音されているが、登場人物の台詞はそれまで通りの字幕処理だ。前記したとおり、ハリウッドのトーキー化は1930年頃には完了している。サウンド版の『街の灯』は、当時としては既に古いスタイルの映画だった。
チャップリンの次の作品は1936年の『モダン・タイムス』だ。同時期にはフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのミュージカル映画もあれば、フランク・キャプラの軽妙なコメディ映画も作られている。映画の中では登場人物たちが丁々発止の掛け合いを演じ、音楽に合わせて歌ったり踊ったりするのが当たり前だった。それでもチャップリンは「無声」にこだわり続ける。
ただし『モダン・タイムス』には1箇所だけ、チャップリン扮するウェイターがデタラメな歌を披露する場面がある。しかしそれだけだった。チャップリンは頑なに「台詞」を拒み続けた。
チャップリンが本格的なトーキー作品を作ったのは、1940年の『独裁者』が初めてだ。『ジャズ・シンガー』から13年たっている。周回遅れどころではなく、ハリウッドの技術的な流れから3周も5周も遅れて、チャップリンはようやく主人公が台詞をしゃべる映画を作った。
チャップリンはトーキーで「声」を手に入れるのと引き替えに、サイレント時代から人々が愛して止まなかったキャラクターを捨て去った。浮浪者チャーリーは、トーキーによって殺されたのだ。
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