2015年3月5日木曜日

アメリカ初の西部劇「大列車強盗」

 映画が発明された当初、映画表現技術の改革はヨーロッパで着々と進み、アメリカはそれに一歩後れを取っていた。だがそれを一気に巻き返したのが、エジソン社で映画を撮っていたエドウィン・S・ポーター(1870〜1941)だ。

 もともと電気技師だったポーターは1898年に最初の映画撮影を試み、翌年にはエジソン社で映画を作り始めた。彼は当時の映画の最新技術を素早く吸収しながら、猛烈なスピードで映画を量産していく。

 当時の映画は1作品15分かせいぜい30分ぐらいの短編ばかりだが、ポーターはそれを年間数十本ペースで撮り続けている。その中でさまざまな試行錯誤をしながら、新しい表現技法を開拓していった。

 彼の代表作として映画史に残るのは、1903年に撮った2本の作品だ。

 1本目は「アメリカ人消防士の生活」という作品で、消防士が燃え盛るアパートから女性を救出する様子を描いたアクション映画だった。これはUSJのアトラクション「バックドラフト」の入口で、行列している客のために流すビデオにも引用されている有名作品だ。


 映画を観るとこの作品には合成があり、クローズアップがあり、ロケーション撮影あり、セット撮影ありで、当時の映画撮影技法がふんだんに盛り込まれ巧みに組み合わせてあることがわかる。逃げ遅れた女性を救出するためアパートに飛び込む消防士の姿を、部屋の外と中から切り返しショットで撮影しているが、これが映画史上初のカットバック編集ということらしい。(でもこれ、カットバックと言うほどのものなのかなぁ……。)

 もう1本はアメリカ映画史上初の西部劇「大列車強盗」だ。これも当時ポーターが持っていた映画表現技術の集大成だが、合成や置き換えなどのトリック撮影を駆使して、猛スピードで走る列車の中での活劇や、強盗たちの凄惨な殺人シーンなどを描いている。


 強盗たちが列車を襲う様子を描く場面と同時並行して、列車が強盗に襲われたことを知らせる技師や強盗たちを追う男たちの姿を描いているが、これが並行モンタージュ(クロスカッティング)になっているのが最大の新しさだろうか。 映画のラストシーンで無法者がスクリーンの中から観客に向かって銃をぶっ放すのも、当時としてはかなりショッキングな演出だったようだ。(たぶん映画館の効果音係が、このシーンに合わせてスリッパを床にたたき付けたり、紙袋を破裂させたりして発砲音を作り出したんだと思う。)

 それ以外にも、列車が事務所を襲撃する場面の背後に侵入してくる列車を合成したり、列車の上の格闘から人間を一瞬にして人形にすり替えたり、金を奪って逃げる男たちの姿からカメラがパンすると逃走用の馬が隠してあるなど、エジソンが映画を発明してから10年で映画技術がここまで進歩していることに驚かされる。

 もちろん現在の目から見て稚拙に思えるところもあるのだが、「この場面は今でも同じように撮るしかないだろう」とか、「このカメラアングルこそがベストポジションだ」と思われる優れたシーンも多い。

 ポーターは1910年頃にエジソン社を退社して1915年までは他社で映画を監督していたが、その後は映画界を去っている。メリエスも同じだが、映画史初期の大物たちは、その多くが1920年代から30年代の映画全盛期を目の前にして映画界を去ってしまう。だが彼らが映画にもたらした功績は、今後も決して忘れられることがないだろう。

 ポーターのもとで映画俳優として映画界入りしたのがD・W・グリフィスなのだが、彼の話はまた別の機会に……。

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