2015年2月18日水曜日

アステア&ロジャース

 俳優であり歌手であり、もちろんダンサーでもあったフレッド・アステア(1899〜1987)は、ミュージカル映画ファンの間では「ダンスの神様」のように崇拝されている存在だ。他のどんなダンサーが束になってかかっても、この地位は決して揺るがない。

 彼はミュージカルの中心がブロードウェイからハリウッドへ移動していく時その中心にいて、ミュージカル映画のひとつのスタイルを確立した不世出の大スターなのだ。当時のハリウッドはブロードウェイから多くのミュージカル関係者を集めていて、アステアのために多くの一流ソングライターが楽曲を提供することになった。

 コール・ポーター、アーヴィング・バーリン、ジェローム・カーン、ジョージ・ガーシュウィンなどが、アステアの映画のために曲を作っている。アステアが映画の中で歌った曲の多くは、今でもスタンダードナンバーとして歌い継がれているが、そのオリジナル歌手はアステアなのだ。

 彼は映画の中でさまざまなダンサーと共演しているのだが、ダンスパートナーで誰が一番だったのかについてはミュージカル映画ファンの中でも議論になる難題だ。しかしこれについて、僕自身はもうずいぶん前に結論が出ている。アステアのパートナーで一番は、誰が何と言おうとジンジャー・ロジャース(1911〜1995)で決まりだ!

 ロジャースはダンサーとしての技量では、アステアの他の共演者たちに比べてだいぶ格下であることは間違いない。ダンスの上手さで言えば、エレノア・パウエルやアン・ミラーの方が断然上手いだろうし、ダンスナンバーでは『イースター・パレード』でジュディ・ガーランドと踊った「素敵なカップル(A Couple of Swells)」が僕のお気に入りだ。『バンド・ワゴン』でシド・チャリシーと踊った「ダンシング・イン・ザ・ダーク」も良かったな。でもこうした映画に出演している頃、アステアは既に「ダンスの神様」だったのだ。パートナーはアステアを尊敬し、崇拝し、彼のダンスの魅力の引き立て役になることが義務づけられていた。

 でもジンジャー・ロジャースは違う。ショービジネスの世界のキャリアではアステアの方が当然大先輩だが、映画の世界に入ったのはロジャースの方が先でキャリアもある。彼女はアステアと組む前から、『四十二番街』や『ゴールド・ディガース』(1933)などの映画でスターになっていた。彼女はアステアを「ダンスの神様」だなんて思っていない。おそらく映画の主役は自分で、それを引き立てるためにアステアが出演していると思っていただろう。


 アステアとロジャースの共演作は、全部で10作品ある。アステアとこれほど大量に共演した女優は、ジンジャー・ロジャース以外には誰もいない。

  1. 空中レヴュー時代(1933/RKO)
  2. コンチネンタル(1934/RKO)
  3. ロバータ(1935/RKO)
  4. トップ・ハット(1935/RKO)
  5. 艦隊を追って(1936/RKO)
  6. 有頂天時代(1936/RKO)
  7. 踊らん哉(1937/RKO)
  8. 気儘時代(1938/RKO)
  9. カッスル夫妻(1939/RKO)
  10. ブロードウェイのバークレー夫妻(1949/MGM)

 『空中レヴュー時代』はアステアもロジャースも主役ではないので、2作目の『コンチネンタル』から『踊らん哉』や『気儘時代』あたりまでがコンビの黄金期だと思う。『カッスル夫妻』はショーダンスで一世を風靡した実在のダンサー夫妻の伝記映画だったこともあり、ダンスのスタイルが必ずしもアステアとロジャースの個性に合っていたとは思えなかったな……。

 アステアとロジャースのコンビ作は日本でもDVDが少し出ているのだが、ストーリー自体は他愛のないものなので、ダンスシーンだけ観たければアメリカ版のDVDを買うのがいいと思う。(日本のアマゾンでも並行輸入業者から購入できます。)字幕なしでも何となく様子はわかると思うしね。あ、リージョンコードの問題があるか……。

ASTAIRE & ROGERS
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