2015年2月25日水曜日

映画を発明したのは誰?

 マーティン・スコセッシ監督(1942〜)の『ヒューゴの不思議な発明』(2011)は、映画の発明者ジョルジュ・メリエス(1861〜1938)が登場するファンタジー映画だ。

 映画史に詳しい人ならメリエスの名前は知っているだろう。彼は世界で最初の映画監督と言われ、世界で最初に映画スタジオを設立した男であり、世界最初の映画スターでもある。でも彼が映画の発明者?

 そう、メリエスは映画の発明者だった。だが彼がひとりで映画を発明したわけではない。

 映画につながる原理は19世紀の中頃からさまざまな発明家たちが手掛け、それが19世紀末に集大成されて、動画を撮影する機械(カメラ)と、撮影済みの記録メディアから動画を再現する機械(映写機)が作られた。

 映画の発明者としてよく知られているのは、アメリカの発明王エジソン(1847〜1931)やフランスの発明家でオーギュスト(1862〜1954)とルイ(1864〜1948)のリュミエール兄弟かもしれない。ものすごく大ざっぱに解説すると、エジソンは撮影機のキネトグラフと箱形の動画再生装置キネトスコープを発明した。リュミエール兄弟はこれらを参考にして、スクリーン上映式のシネマトグラフを発明した。映画史の教科書では、まあだいたいそういうことになっている。

 だが映画の歴史を紐解けば、エジソンに先立って連続写真の技術を発明したエドワード・マイブリッジ(1830〜1904)がいなければ映画は作れなかっただろうし、連続した映像を連続投影して動かすエミール・レイノー(1844〜1918)のテアトル・オプティークに至っては、ほとんど映画の直前まで到達している発明品だった。

 現在の映画につながる発明品が、エジソンの研究所から生まれたのは事実だ。だがエジソン研究所から生み出される発明品の多くは、エジソンと彼に雇われた研究者や発明家たちの共同作業で作られていた。映画装置であるキネトグラフやキネトスコープをほとんどひとりで発明したのは、スコットランド人の発明家ウィリアム・K・L・ディクソン(1860〜1935)だ。

 彼が1891年頃にエジソン研究所でテスト撮影した映像の断片は、今でも残っていて見ることができる。こうした断片は幾つかあってどれが最古のものかはよくわからないのだが、これらが世界で最も古い映像の一部であることは間違いない。


 ディクソンの発明が基礎になって、映画は最初の10年ほどで飛躍的に技術が高まっていく。そこにリュミエール兄弟やメリエスが参加したのだ。

 リュミエール兄弟は父からキネトスコープの話を聞いて(実物が手もとにあったかは不明)、シネマトグラフを作ってしまった。パリでシネマトグラフの上映を見たメリエスは、自らロンドンまで出向いて未完成の似たような映画装置を仕入れ、それを改良して映画の撮影と上映用の装置を作り上げてしまった。

 この時の工夫の幾つかが、その後の映画に不可欠な特許になった。そのためメリエスは、映画の発明者のひとりになっているわけだ。

 1908年。エジソンが中心になって各社が映画関連の特許を持ちより、互いに利益を分配するための映画特許会社(MPPC)という組織を作った。この組織にはメリエスも参加している。

映画の考古学
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