2015年2月19日木曜日

バスビー・バークレーの万華鏡ショット

 1930年代のミュージカル映画で、「個人技」としてのダンスシーンをひとりで完成させてしまったのがフレッド・アステアだとすれば、「群舞」としてのダンスシーンをこれまたひとりで完成させてしまったのがバスビー・バークレー(1895〜1976)だ。

 もともとブロードウェイで振り付けの仕事をしていたが、トーキー革命でミュージカル映画のブームが起きるとハリウッドに仕事場を移した。最初の仕事はエディ・カンター主演の『ウーピー!』(1930)。大勢のダンサーたちがぞろぞろと登場して歌い踊るというパターンは、既にここで披露されている。しかし彼の名声を決定的にしたのは、1933年のワーナー映画『四十二番街』だ。

 バークレーは1950年代まで映画界で活躍しているが、紛れもない代表作と呼べる作品は、1930年代のワーナー時代にあると思う。その後MGMでも振り付けや監督の仕事をしているが、MGMは「空に輝く星よりも多いスターたち」を売りにしたスターシステムの映画会社だったせいか、バークレーお得意の「群舞」の魅力が味わえる作品はあまりないのだ。(それでも奇抜な振り付けで観客を驚かせるナンバーは多い。)

 バークレーの振り付けというのは、基本的に「質より量」なのだ。アステアのダンスが長年のトレーニングとウンザリするほど繰り返される入念なリハーサルによって磨き上げられた個人芸術なのに対し、バークレーのダンスは映画館のスクリーンを埋め尽くす若い美女たちが繰り広げるマスゲームになっている。

 舞台出身のバークレーは、映画の世界で「舞台では表現できないダンスシーン」の演出に挑む。それの代表が、ダンサーたちの群舞を真上から撮影したショットだ。舞台では客席から見て前後の奥行きがあるため、ダンサーを円形に配置して踊らせても、客席からそれが円形に見えることはない。しかし映画なら撮影ステージの上で円を描いて踊るダンサーたちを真上から撮影し、完全な円形を作り出すことが出来る。

 バークレーの映画の中では数十人、場合によっては数百人のダンサーたちが、画面の中で何重もの同心円を描いて踊る。彼らの動きは音楽とシンクロして、万華鏡のような千変万化の幾何学模様を描いていくのだ。

 『四十二番街』でもそうだが、バークレーの演出するダンスシーンは劇中劇として演じられているものが多い。スクリーンの中で演じられているのは、ブロードウェイのミュージカルであったり、ナイトクラブのショーであったりする。だがバークレイの奇想天外なアイデアは、そうした舞台設定の制約を軽々と飛び越えてしまう。


 ダンスシーンが始まった途端に、ステージは本来の大きさの何倍にも何十倍にも拡大し、舞台演出としては不可能なスペクタクルが展開するのだ。目のくらむような数分間のドラマが終わった後、カメラは再びステージの上に戻ってくる。よく考えれば「そんなバカな!」なのだが、そんなことお構いなしなのがバークレー演出の楽しさだろう。

 フレッド・アステアのダンスは、彼と同じだけの才能と努力なしには同水準のものを作ることが出来ないが、バスビー・バークレーのダンスは「質より量」だから模倣されやすい。バークレーの演出する群舞は、ミュージカル映画の定番としてあっという間に消費され尽くしてしまった。

 バークレーは1950年代にハリウッドを去り、再び舞台の世界に戻っていく。(1962年に『ジャンボ』の振り付けを担当しているが、連続したキャリアは50年代で一度途切れている。)ハリウッドでの活動は20年ほどに過ぎない。しかし彼の作り上げたスタイルは今でも多くの映像作家たちに模倣され、ミュージカル映画、CM、PVなどでその影響を見ることができるのだ。

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